48歳転職成功!お局様に悩むのだ

転職したら局様との奮戦が待ってた

人間のメンタル

不況で解雇されることになった48歳。

当初は再就職を捜すということが一番で前職への憎悪は少なかった。

が、職が見つかり安堵すると一気にいらだちが出てきた。

しかし、数日経つと不思議とどうでもよくなった。

前の職場なんて考えても仕方ない。と思う。

だって辞めるから関係ないんですよね。

大分、気持ちの整理がついてきた。

僕の人生には関係のない存在に気をとられてはもったいない。

 

あなたにとってっ転職とは?ースガシカオを聞きながらー

NHKですね。プロフェッショナル・・

 

俺の転職ー。

 

半分くらいのウソをブログに書いて半分くらいの本当もブログに書いて

誰も分かんないくらいの割合で告白をしたら

辛いことも半分に出来るってこと。

半分だけ誰かに言えたから半分は自分で解決しようと。

 

重い話は半分にしたら受けとめてくれる人はいると思う。

半分くらいは自分で頑張れって。

半分くらいなら自己解決できるって・・。

 

「辞めます」と言わない勇気が大事ですね?

1月のある日。

自主退職を求められた。

 

返事は保留です。

 

48歳この瞬間に再就職を捜すことにしました。

 

会社からは全ての仕事を取りあげられました。

「自分の仕事は自分で見つけろ」

コロナの中、営業活動には自粛がつきまとう。

私は迷った末にある決断をした。

 

営業活動はするが転職活動をする。

 

週に1回程度の訪問先のアポをとりつつ。

残りの時間は求人サイトを閲覧する。

 

出社は定時。帰社も定時。

 

訪問先では営業活動を普通にするが

信頼できる関係のある人には転職の相談をしてくる。

 

こんなことをしても給与は振り込まれます。

 

結局、1月から6月までほぼ転職活動しかしていないが

満額が振り込まれています。

 

頑張ったと思う。

 

 

 

 

結局。コネ入社やんっていうオチ。

来週には正式に契約書を交わすことになっています。

 

叔父さんの転職は290社を超えて300社に応募する前に決まりそうです。

応援くださりました皆様ありがとうございました。

 

一番最初の頃は30社くらいで決まると思ったのですが甘かったですね。

 

1月末にスタートした転職活動、3月いっぱいで決めて退職するつもりでしたが・・。

お祈りメールかフザケタ会社からの連絡ばかりでした。

 

初めての面接は・・手帳には4月9日。

その後が4月21日、5月10日、5月17日、6月1日、6月9日となっています。

 

3月に決めるどころか面接の連絡が来ただけです。

かなりメンタルがやばかったのは明確です。

 

この時の運の良さは面接→不採用となった数日以内に

面接のご案内というメールが来るということ。

 

逆を言えば面接終わりに10社以上、応募したという無謀さ。

2か月も応募→面接→不採用→応募というループをしていたことが分かります。

 

石にかじりつくということでしょうか。300社くらい応募せなアカンすね。

 

そして最後は以前、取引していた会社様から「履歴書持ってきませんか?」との連絡。

 

そうです。最後はよく知っている人がいる会社です。

 

助け船にしっかり乗船します。

 

 

 

 

採用直前で消えた話

とあるクリエーターという仕事一筋で48歳となった男は

転職活動時にこれまでの経歴での武器をコミュニケーション力と考えた。

そこでコミュ力で仕事を見つけたいと。

なぜそんなことをという源流は3年くらい前に来たスカウトメールです。

 

有名企業の子会社のこんな求人

 

●当社が管理している賃貸物件のエリア統括

 

簡単に言えば数棟のマンションに管理人がいるので

報告を受けて業者を手配したり自らが修理をしたりとか。

でも賃金は悪くはない。

なぜなら「未納住民との交渉」というのが最大の業務なのです。

この会社の管理物件の住民は低収入の方が多いです。

日頃からトラブルが多い上に家賃が未納で退去をお願いすることも。

また悲しいですが孤独死される老人なんかも

管理人だけでは解決できないことを抱えたこの会社は

巡回するエリアマネージャを新設することになったということ。

残業はほぼない。

ストレスは多そうだが性格的にはできそうな気が・・

そうして採用直前になった時に・・・

 

「新設することが本社からストップがかかりました」

 

こんな終わり方でした。

今、思えばこれが転職活動の序曲だった気がします。

ちょっと会社に不満があって求人サイトの履歴書を更新したのがキッカケでした。

そのまま活動を続けなかったのは「コロナ」

というのは・・・また今度書きますね